粟島小学校跡 | 善入寺島にたたずむ小学校跡

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善入寺島(ぜんにゅうじとう)にある「粟島小学校跡」が気になります。

松本

この記事で詳しくご紹介してまいります!

日本最大の川中島である、「善入寺島」。かつては「粟島(あわじま)」と呼ばれ、市場町史によれば大正初期には506戸・約3000人もの島民がこの島で暮らしていたそうです。今回ご紹介する「粟島小学校跡」は、まだ多くの人が住んでいた時代に存在した小学校跡となります。

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それでは早速、現地の様子をご覧いただきましょう!

目次

粟島小学校跡の様子と歴史について

史跡 粟島小学校跡(石柱)

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粟島小学校跡に到着しました。住所で言うと、徳島県阿波市市場町大野島江ノ島地点となります。石柱が立っていますので詳しくご紹介します。表面から。

史跡 粟島小学校
明治八年創立 大正四年八幡尋常高等小学校に合併

松本

後で詳しくお話ししますが、明治八年(1875年)に前身となる「
小学校」が創立されます。粟島ではなく、粟です。

粟島は聞いたことがありましたけど、「粟里」っていうのは初耳です!

松本

私も調査して初めて知りました。郷土史は奥が深くてとても面白いです。そして裏面はというと・・・

松本

裏面には、文字の刻印はありませんでした。

粟島小学校の歴史

松本

粟島小学校の歴史は下記の通りとなります。

明治8年、前身となる「粟里小学校」創立

明治10年、「粟島小学」に改称

明治12年、「粟島小学校」に改称

明治19年「粟島尋常小学校」に改称

明治36年「粟島尋常高等小学校」に改称

明治37年「粟島尋常小学校」に改称

大正4年「八幡尋常高等小学校」に合併統合される。

松本

善入寺島の火薬庫跡の記事にも書きましたが、昔の善入寺島はたびたび水害が発生していました。そこで、明治政府は「吉野川改修工事」を行うこととし、あわせて明治四十五年(1912年)から大正五年(1916年)までの間に島民に立退命令をだしました。

立退とともに、人もいなくなって、粟島小学校は無くなったということですね。

松本

はい。しかし、大勢の方が善入寺島で暮らしていたこと。そして、島内のこどもたちが元気よく小学校に通っていたという歴史は、これからもずっとずっと受け継がれていきます。

粟島小学校跡へのアクセスと現地情報

アクセス

住所:徳島県阿波市市場町大野島江ノ島

駐車場

ありません。専用の駐車場は整備されておりませんので、農作業される地元の農家さんや通行車両の妨げにならないよう、ご注意ください。

お出かけ前に

善入寺島へお出かけの前に、下記サイト様で道路交通情報をご確認ください。
徳島県県土防災情報様:https://bousai.pref.tokushima.lg.jp/map/

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吉野川のライブカメラもあわせてご確認ください。水位が上がると、善入寺島にかかる潜水橋が通行止めになることがあります。
どうぞご注意ください。

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松本

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参考文献:市場町史、粟嶋史

(文章・写真:松本剛)

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