四国八十八ヶ所のうち、4つの札所を有する徳島県阿波市。お遍路文化が根づくこのまちの隅々に目を向けながら歩いてみると、いたるところに設けられた道しるべ(遍路石)と出会うことができます。さて、そんな道しるべの中でも今回注目したのが、四国巡礼279回達成という前人未到の記録を持つ「中務茂兵衛(なかつかさもへえ)」によって建てられた道しるべです。
この記事では、中務茂兵衛によって建てられた道しるべ情報について、随時追記しながらお届けしてまいります。
中務茂兵衛について
中務茂兵衛(なかつかさもへえ)は、1847年(弘化4年)4月30日、周防国大島郡椋野村(現在の山口県大島郡周防大島町)に庄屋の三男として生まれました。1866年(慶応2年)から四国遍路をはじめ1886年(明治19年)に88回目の巡礼を達成。その後は、先祖供養や他のお遍路さんのためにと合計239基の道しるべ(遍路石)を建てたそうです。そして上述の通り、1921年(大正10年)には279回目の巡礼を達成するも翌年1922年(大正11年)に、八十七番札所「長尾寺」と八十八番札所「大窪寺」を残して高松の地で亡くなりました。
280回目の四国巡礼はかなわなかったものの、想像を超えた大記録であることは間違いありません。
中務茂兵衛の道しるべ(阿波市市場町)
阿波市市場町大野島の道しるべ(中務茂兵衛・四国巡礼88度目の道しるべ)
刻銘内容
(西)
👉 遍路道
(北)
八十八遍目為供養
長州大島郡椋野村
行者 中司茂兵衛建之(*)
(東)
越中國下新川郡明日村
施主 法福寺住職
佐伯清信
(南)
明治十九年
戌三月
平成八年十一月
為破損復元
注釈
(*)「中司」は中務のこと。
第十番札所「切幡寺」から第十一番札所「藤井寺」に向かう道に立つ道しるべは、中務茂兵衛が四国巡礼88回達成時に作られ、かつ中務茂兵衛がはじめて建立した道しるべだそう。なお、残念ながら平成四年に破損した為現在は復元されたものとなります。
アクセス
住所:〒771-1627 徳島県阿波市市場町大野島東島37
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【備考】香川県と阿波市の県境にある道しるべ(中務茂兵衛・四国巡礼279度目の道しるべ)
刻銘内容
(南)
為二百七十九度目巡拝紀念
周防国大島郡椋の村
願主 中務茂兵衛
(西)
👈 八十八番奥の院與田寺 へ三里 三本松より毎日午後二時
弘法大師御再来遺跡
白 鳥 神 社 へ四里 大阪神戸むやへ汽船でます
(北)
👉 大くぼ寺へ 大正十年六月吉日 世話人國方長三郎 〃中村梅吉
一里餘 石工 三本松武島浅次郎
注
・周防国大島郡椋の村:現在の山口県大島郡周防大島町のこと。
・與田寺:与田寺のこと。
・一里: 約3.9 km
阿波市市場町大影にある「境目のイチョウ」のすぐ北側にあるちいさな道しるべは、中務茂兵衛(なかつかさもへえ)が大正10年(1921年)に四国遍路巡礼279回を達成したことを記念して作られたもの。現代でも大変な歩き遍路ですが、この時代に279回も四国遍路を成し遂げたことにはただただ驚かされるばかり。