大野島渡し跡

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阿波市市場町大野島地区の堤防に立つ「史跡 大野島渡し跡」の石碑。この付近ではかつて、江戸時代から昭和27年(1952年)まで「渡し舟」が行き来していました。また、石碑の近くには中務茂兵衛の道しるべがあることから、地元住民はもちろんお遍路の方たちによく利用されていたことがわかります。

この記事ではそんな、大野島渡し跡についてご紹介してまいります。

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大野島渡し跡の石碑

石碑の向こう側には、善入寺島が見えます。

「史跡 大野島渡し跡」の石碑は平成20年(2008年)に建立されたこともあり、状態が良く、刻まれている文字もはっきりと確認する事が出来ます。

北:大野島渡し跡
東:市場町と善入寺島を結ぶ大切な交通路で、遍路道ともなっていた渡しであった。 
  渡しの始期 江戸時代 
  渡しの終期 昭和二十七年(1952年)
南:平成二十年三月 建立
西:渡し場の位置 左岸 阿波市市場町大野島 右岸 阿波市市場町大野島地先(善入寺島) 
  河口からの距離 左右岸 二十七・六キロメートル

現地の石碑「史跡 大野島渡し跡」より引用

渡しとは

渡しとは、人や物を舟で向こう岸へ渡す事、またはその舟が着く場所の事。そんな阿波市内に存在した渡しは、「大野島渡し」の他、「源太渡し」「谷島渡し」「三ツ島渡し」「伊月渡し」「千田渡し」「香美渡し」「岩津渡し」などがあります。

ちなみに、大野島の渡し舟が行き来した川の名前は「善入寺川」。吉野川の支流です。

【参考】大野島橋の歴史

市場町史によると、大野島橋は昭和元年(1926年)に全長10メートル程の木橋として誕生し、昭和10年(1936年)5月には幅3メートル、全長154メートルの木橋になります。そして、昭和28年(1953年)9月1日に現在の潜水橋が完成したのだそう。

*大野島橋(潜水橋)
 全長:228メートル
 有効幅員3.0メートル

あとがき

橋のなかった時代には、大野島と善入寺島間とをしっかりと結んでいた大野島渡し。今ではその姿を見ることはできません。

アクセス

参考文献

市場町史・平成八年版

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