編集部日誌(第8号)

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いつもウェブマガジンあわしるべをご覧いただきありがとうございます、編集長の松本剛です。こちらは四国八十八ヶ所霊場第八番札所、「熊谷寺」の写真。6月になったらやはり、熊谷寺さんのあじさいを堪能したくなります。そして、花のバトンはあじさいからひまわりへ。7月は善入寺島のひまわりをご紹介する予定ですので、ぜひチェックしてみてください。

ここからは投稿した記事について。

一つ目は、「大野島渡し跡」です。吉野川にかかる橋がまだなかった時代、阿波市内にはいくつか渡し舟が行き来していましたが、大野島渡しもそのうちのひとつ。何かと急ぎがちな現代ですが、時には時間をかけて、ゆっくりと舟に乗ってみたいと思ったりする事があります。

天の真名井(天然記念物 まな井)」は、建布都神社を参拝後に偶然発見した場所です。「天の真名井」の名前は知っていましたが、まさか阿波市にも言い伝えがあったとはと驚かされました。

まちの変化を記録する」の2回目は、市場公園に新設されたトイレについて。利用者にとって、公園にトイレがあるかどうかはものすごく重要な要素のひとつ。遊具の近くに新設されたのは、とてもありがたいです。

そんな公園について、最近考えていること。小学生の頃、私にとってまちの公園は「遊ぶ場所」そのものでした。遊具で遊んだり、誰かと鬼ごっこをしたり、時には仲間を募って秘密基地を(勝手に)作ったりもしました。しかし、高学年ぐらいになってからは、公園は「遊ぶ場所」から「待ち合わせ場所」になって、中学生の頃にはすっかり遊ばなくなりました。「公園は小さい子が遊ぶ場所やろ?」と、過去の私は考えていたのでしょうか。ある日、そんな話を友人たちにすると「確かに」「ああ、まあ中学生ぐらいになったらそんな感じだったかもね」との私とほぼ同じような回答。

そしてあっという間に大人になって、子供が産まれてからは自分が遊ぶ場所ではなく、子供を「遊ばせる」場所になりつつある気がするまちの公園。

うーん、よくよく考えてみるとなんだかもったいない。いくつになっても、公園は楽しいと言い切ることができたのなら、私たちの日常はちょっとだけ違ったものになるかもしれない。そのような公園が身近にあったら、自分の住んでいる町がもっと好きになれるかもしれない。じゃあ、今何ができるだろうか。そんな事を今日も友人と話し合っています。

それではまた。

(写真・文:松本剛)

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